2022/10/19 16:26
新大陸のワインが続きましたので、たまには旧パラダイムの中心地ともいえるボルドー様にご登場願いましょうか。
ボルドーといってもソーテルヌです。
貴腐ワインですから、甘いです。
甘口はちょっと。。。
というワイン愛好家が多いです。
食事に合わせにくいというのが大きな理由でしょうけどれど、そればかりでもないみたいです。
要は、「飲み慣れてない」ということです。
古来、王侯貴族から寵愛されてきたし、いまだに西欧諸国では国賓を饗応する晩餐会でも出てくるワインです。
ブランド物大好きな、後進国代表選手たる日本の半可通は、本当ならもっと群がってもいいと思うのですが。
それにしても、フランスというのは、眼に見えない過去の遺産を金銭価値に変換することにかけては、天才的な才能がありますね。
それを商魂といったら怒られるのなら、商才とでも言い直しておきますけれど。
その点、我国の場合には、「ものづくり」「職人の手作り」という表現にみるような、良く言えば愚直さ、悪く言えば愚鈍さといったら、その道の方に今度はお目玉を喰らうかもしれませんが、どちらかというとストイックさが売り物になっています。
「浮利を追わず」みたいな文言が、代々の家訓になっている商家も多くあります。
それはそれで、大変好感のもてる姿勢でありまして、文句のつけようはまったくもってないのです。
経営姿勢としてストイックな実質価値に執着するというのは、私企業としては1つの考え方といますが、一般国民が自国の文物には付加価値を認めず「安くていいもの」ばかりを追い求めるくせに、おフランス産の舶来品に対してはビニール製の鞄であっても目玉の飛び出るような金額を平気で支出してやまないというのも、鹿鳴館時代はまだ終わっていないという当欄の相変わらずの戯言を裏付けているような気がしてなりません。
そんなおフランス大好きな弊国の人々も、シャンパーニュには盲目的に支出するのに、ソーテルヌには見向きもしないという偏愛が根強いままです。
言い訳の1つに、酒に弱くてデザートワインまで飲めない、その頃には既に酔いが回って、もう飲めないというのがあります。
だったら、酔っ払う前に飲めばいいのであります。
かのエリゼ宮の饗宴では、フォアグラのお供として立派に食中酒としてサーブされていることですし、おフランスかぶれの方々には是非とも食事の中で召し上がっていただきたいワインといえるのです。
こちらは、レーニュ・ヴィニョーと申しまして、ソーテルヌの格付としては最上位のプルミエ・グランクリュ・クラッセになります。
特別級の中が、さらに1級と2級に分かれています。
メドックの場合には、5つに分かれていますが、ソーテルヌは全体のシャトー数も少ないので、2つのクラスになっています・・・というような能書よりも、さっそく飲まなくては始まりません。
まづ色合いです。黄金色とはよくいったものです。
ゴールドには、さんざめく輝きがあります。
単に光るのではなく、観る者をして心中穏やかならぬ躍動をさせる魔性を秘めています。
その伝でいえば、ゴールデン街とはすごい名前のつけ方です。
人間の本性のもつ根源的な部分を、その舞台である夜の街としてストレートに表現したらこうなりました、というコロンブスの卵とでも形容したくなるネーミングと言えます。
そのゴールデン街も、在りし日の常連客は鬼籍に入ったりドクターストップを下されたりで、その間隙を縫って入り込んだ訪日外国人によって、いまやディープな日本を訪ねる聖地化しているというのはご同慶の至りですが、かつて常連でもない分際で表の扉を開けたときに店内から一斉に降り注がれた刺すような視線の洗礼を思い起こすにつけ、昭和は遠くなりにけりの感を新たにします。
ほとばしる芳香は、毛並みの良さを体現しています。
最初に優美な甘さのお出迎えを受け、次いですぐに丸く丸く角の取れた酸味が介添えして外套を脱がしてくれます。
甘味と酸味が高い次元でバランスしています。
バラックの飲み屋ならぬ、高貴なお屋敷ではさぞかしと想像をかきたてられます。
同じワインの同じケースの中にあったボトルを、3年前にも飲んだのですが、その時には、若々しさが全開でした。
パワフルな酸がカキーン!と乾いた快音を残して外野席へ一直線という打球を見せてくれました。
全盛期の王貞治の打球の速さといったら凄かったですが、そのあとはブライアントですかね。
現役だと筒香か吉田正尚あたりになるのかと探しているところです。(※この記事は、筒香がまだ横浜ベイスターズで打ちまくっていたころに執筆しました)
ところが、3年経過してみると、その酸も丸みを帯びていい感じに成熟しています。
名優も、若々しい、凛々しい、脂の乗った、円熟の境地・・・などと、歳を重ねるにつれて褒めるポイントも移っていきます。
ワインの面白みは、同じビンテージの経年変化を楽しむところにもあります。
3年前の青年期は、我が道を行く自信に満ち溢れていて、飲む者を圧倒しました。
いまは、人生たるもの酸味だけじゃないことがわかり始めました、と別の顔つきになって思慮分別を語っています。
正月の残りの栗きんとんと合わせたら、良くマッチしていました。
それは当たり前だろと言われそうなので、以前からお奨めしている甘口ワインとのマッチングの鉄板として、エスニック料理に引き合わせました。
麻婆豆腐を作って合わせましたら、やっぱり激しく合致しました。
料理の辛さと、ワインの甘さと酸っぱさが、混然一体となって別世界に連れ出してくれました。
その前菜に蟹焼売を持ってきたのですが、それもこの元・貴公子、現・侯爵閣下に大歓迎されました。
お値段からして美味しいのは当然でしょと言われないように、次回にはブーブレーあたりのお安い甘口で勝負してみようかと思います。