賢者のワイン

2022/12/28 12:12


(※2021年7月に執筆した記事を再掲しました)

もうとっくに明けちゃいましたが、明ける前の話です。
梅雨時というのは、興行の客足は振るわなくなります。
また、学校の運営においても、好天が期待できないために、遠足や運動会などの行事を組めません。

そういう両者の利害といいますか、事情が一致したからなんでしょうか、6月は多くの劇場が学校団体の見学会向けのプログラムを組んでいます。

たいがいのケースで、一般客もそのおこぼれに與ることができます。
その利点としては、若手役者による少年少女向けのライブ解説がついていたり、観劇料金が比較的安く設定されていることなんかが挙げられます。

また、普段は有償のプログラムが、こうした日には簡略版とはいえ、無償で配布してくれるのも有難いところです。
写真は、そのプログラムをスマホで写したものです。

国立能楽堂で、能と狂言がありました。

慣れないと退屈しやすい能には、ビジュアル面で大きな道具を用いて、観客にハっとさせる展開があったりして、飽きさせない工夫が凝らされている殺生石が充てられていました。

当日学校団体のドタキャンがあったとかで、横正面の大きなブロックが丸々空いていました。
どうぞ前のほうへお座りくださいと係の人が勧めてくれるのは誠にご大儀なことですが、団体でドタキャンというのは頂けません。

事情を知らないでつべこべ詮索できませんが、能と狂言のように観客は終始無言で拍手もしないしきたりの観劇会で、陽性者でない者が集団で静寂のうちに観劇しても、なんら問題はないはずです。

とにかく炎上を恐れて、なにか言われたら困るから何でもいいから中止するというのが、責任を取りたくない責任者のデフォルト発想になっています。



次いで、歌舞伎です。
世話物の名作を国立劇場で拝見しました。

1階1等の「とちり」(8,9,10列目)の席でお安く観させていただきました。
これも普段の納税分を自主還付する手法の1つといえます。

当代一流の役者さんが、まったく手も緩めず格調高く上演してくれるのですが、一般席のほうは空席のほうが多い状態でした。

コロナもあるのでしょうけれど、高校生の団体と一緒に観るのは嫌だという年配者が多いのでしょうね。
いったい自分がその年頃には、そんなに立派な立居振舞をしていたのかいなと問い質したくなります。

当日の生徒さんたちは、実に品行方正で、なんにも問題の「も」の字もありませんでした。
自分が40年以上前に歌舞伎座で学校観劇会に参加したときには、周囲の友人たちは上演中に普通に私語はするわ、役者の屋号を違えて舞台に声をかけるわ、それに対してみんなで爆笑しちゃうわ、まあ、ひどいものでした。

当時の市川猿之助(現、猿翁)演ずる「加賀見山後日岩藤」で派手な宙乗りを拝見しました。
「澤瀉屋」の役者に向かって、「音羽屋!」と素人の高校生が大声を発するなど、当日の一般のお客さんたちにはご迷惑をおかけした一座だったと思います。

それを棚に上げて申すわけではありませんけれども、今は、世の中がいろいろいとうるさくなったといいますか、寛容性が低下しているので、学校の運営も骨が折れることと同情してしまいます。

小学校の運動場で小学生が体育の授業中にマスクをしていない、あるいはマスクが少しずれ下がっている児童がいるといって、その小学校に連日苦情が入るそうです。

マスク警察のおじさんたちが、校庭の壁の隙間から常時監視しているそうです。
こんな苦情電話が引きも切らないので、学校現場は疲弊していると先生の投書にありました。

自分には決して弾の飛んでこない場所から、まさに戦いの渦中にいる実戦部隊に向かって、後ろから弾を撃つ不逞の輩が跡を絶たないことに、暗澹たる気持ちになります。

お芝居の話に戻りますと、西洋歌劇を観て、日本の能狂言や歌舞伎を拝見しますと、その様式美、形式美のありように感銘を受けます。

オペラの場合には、時代性を読み替えた演出があり、それがまた楽しみでもあり、甲論乙駁の紛糾のネタになるのが興味の対象とすらいえます。

対する能狂言とその派生様態である歌舞伎の場合には、固定した「型」の保存と再現を堪能するというエッセンスがあり、この彼我の相違を噛みしめるのも一種の愉悦です。

彼我の違いといえば、ワインでは旧大陸から飛び出ていくと、同じ葡萄品種でもまったく異なる役割を演じることがあります。

フランスではワイン法が厳格で、造り手が好き勝手にワインを造ることは、禁じられているとはいえませんが、そういう枠外のものとして上位の原産地呼称は付けてもらえません。

その点、新大陸へ行けばさまざまな呪縛から解き放たれます。
ここで脱線しますと、横並び意識と同調圧力だらけの日本を脱出して、新天地でイノベーションを巻き起こしたいという日本人は産業界では少数派です。

自分のリスクでなんでも決断してどんどん進めるよりも、周囲の様子を常に気にしながら、決して出し抜くことなく、出る杭として打たれないことだけを最大の眼目として、当り障りなくみんな平等に過ごすことが、何よりも心地よいというのが日本の大企業人の心情でしょう。

新大陸でのワイン造りはそれとは対極です。
旧大陸で不遇をかこっていた葡萄に陽を当てる試みも多くなされています。

グルナッシュもその1つです。
フランスのローヌ地方の中心品種の1つ、グルナッシュには黒葡萄と白葡萄があります。

どちらも、ほかの品種とブレンドされてその地域のワインとなる基盤としての役目です。
それを主役に抜擢したのがこちら。



カリフォルニアでローヌ品種のワインを造っているグラウンドワークのグルナッシュ・ブランです。

キャップシールのない生身の瓶口が、新大陸カリフォルニアの矜持というか進取の気性をのっけから主張しています。

サーモンピンクという色表現は、すでに人口に膾炙しすぎて新規性が色褪せていますので、ここは極めてほのかなローズゴールドとでもいってジュエリー業界から仮借しておくことにしましょうか。

また脱線ですが、いま個人的にはナラティブのマネタイズという方角に興味があります。
要するに、語りによる収益化です。

アンティークの業界や新品でもジュエリーの世界では、その商品がいかにすぐれているのか、素人には同じに見えても実はここが違うのだ、だから価値が高いのだということを語るわけです。

そこでは、言語が身にまとう品格や知性が、扱う商材の真価を体現するので、どちらさんも言説には趣向と教養を凝らしています。
当然ですが、なんでも語ればいいわけではなく、多弁は愚昧に通ずる危険を孕んでいるなかで、抑制の美意識が鑑別されることになります。

そのようなアンティーク業界でひとたび眼を慣らしてしまうと、ワイン業界に戻ると目を覆いたくなるような惨状は相変わらずです。

楽天などに出店すると、胴元側で用意した同一アイテムの価格比較機能に自動的に組み込まれ、その桎梏から逃れようとするほど商品説明の文章表現は直截的となります。

「なんと!」「びっくり」「驚異の」といった、文化とも教養とも無縁な字面の羅列が、ワインを虚飾しています。
せっかく1年かけて造られて生まれ、はるばる運ばれてきたワインたちが不憫でなりません。

販売画面の色調も、中華街かと見まごうような深紅、つまり辛苦の断末魔に彩られることになります。

当欄では、そのような俗世間から超然としていたいと念じています。

さてこのワインに戻ります。
ワインの色合いですが、よく使う「麦わら色」などといっても、いまどきの都会人には麦畑の光景など思い浮かばないですし、麦わら帽子は本来の黄色系というよりも薄茶色になっていますから、ワインの色の描写としては的確性を欠きます。

色や風味や味という、人間の五感で如何様にも感じるはずの一種掴みどころのない広漠とした態様を、数千年前に成立した言語の世界に強制的に封じ込めて再現しようというのですから、捨象してしまう余白のほうが大くなります。

これは、世界中のワイン屋が気づかないまま犯している切り取り詐術といえます。
無論自分もその1人として、切り取りの練度を向上させるべく自戒をしているつもりではあるのですが。

このワインですが、味には新規性があります。
わずかに「すもも」のような酸味があり、ややすっぱめの印象です。
これは意外な風味です。

ほのかに苦みもあり、複雑さの存在箇所が微妙にずれています。
日本では杏子というと干したものが一般的で、熟成感を連想してしまいがちなので、「すもも」にしました。

ローヌ品種なのにローヌの白ワインよりはるかに淡麗で、さらっとしています。
葡萄品種を言われないと、ローヌを想像することはほぼできません。

かといって、品種を事前に明かしてしまうと、今度は飲み手の経験値に蓄積されている既存の知識などがステロタイプな刷り込みと化していたものが不意に顕在化してしまうので、目の前のワインをありのままに賞味するには、敢えて言わない作戦のほうが正解かもしれません。

お次はこちら。
豪州のセミヨンです。



香りは抑制的で、酸味も穏やかです。
丸みがあって口当たりは柔らかく、バランスが取れています。

何かが突出することはなく、大人の円熟の境地です。
とはいえ、成熟とか熟成ということではなく、生き生きとした風味があります。

じっくり杯を重ねていくと、実は複雑な奥行きも出てきます。
もっとも、渋味や苦味が見え隠れするような複雑さではなく、「シンプルなのに奥が深い」という玄人好みの上質感を漂わせています。

アルコール度数12.5%という、この絶妙な匙加減のお陰で、飲み口は軽快で飲み手にフレンドリーです。

もともとセミヨンは、ボルドーの白ワインでみるように、ほぼ混醸向けの品種となっていて、単体でワインになることは少ないのですが、その珍しさだけではなく、この水準まで高めた品格とフィネス(優美さ)を備えていれば、どこへ出しても恥ずかしくない素晴らしいワインといえます。

お相手としましては、こちらさんなどは如何でしょうか?



プロセスチーズに風味を練り込んだものです。
それも、いかにもワインの好きな人に媚びてますよというフレーバーの選択が、いじらしくも絶妙です。

お味といいますか、実際に口腔内で展開される解像度もなかなかの線を行っています。
設計思想と実現された成果物の双方を、素直に賞賛したいと思います。
(ものづくり経営学の泰斗・藤本隆宏教授の持論である、「ものづくりとは、設計情報の転写である」という一節を思い出しました。)

渋めの白ワインのお供として、良く出来た組み合わせといえるでしょう。

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