賢者のワイン

2022/12/28 12:33


♪串に刺さった団子、🎵 だんご
・・・というあの曲が大ヒットしてから、もう20年以上経っちゃいました。

うちの子供たちがまだ幼稚園に行くか行かないかって頃だったのに、2人とも社会人さまにお成り遊ばしちゃって。
団子3兄弟が流行って、一番困ったのは和菓子屋さんだったという話がありました。

お菓子屋さんで作って売ってる団子は、みんな4連だったので、「テレビと違う」というクレームというか、困惑がお客の間に広がったとか。

さて、写真は大阪風の押し寿司です。
串に刺さったならぬ、箱に入ったお寿司です。

こういう寿司を昔、大人たちは「大阪寿司」と呼んでましたね。

でも、この「大阪寿司」って呼び方ですが、トンと聞かなくなりました。
ネット検索してみても、「大阪の寿司屋」とかが表示されて、大阪にある江戸前握り寿司のお店なんかが出ちゃいます。

東京では当たり前ですが寿司といえば握り寿司だったので、こういう押し寿司系というか箱入り系は、わざわざ大阪寿司といって区別してたんでしょう。

とはいえ、江戸にこういう寿司がなかったわけではなくて、稲荷と海苔巻きの助六寿司なんて、成田屋の十八番(おはこ)である歌舞伎演目「助六所縁江戸桜」から名に負うのをみても、魚を握るばかりが江戸の寿司ではなかったのですけど。

助六が入れ込んでいたナンバーワン花魁の源氏名が揚巻だったから助六寿司とは、実に粋なネーミングです。
もっとも、これは押し寿司ではないし、助六のことを大阪寿司とはいいません。

やっぱりこう、押してあって、箱にギューギューと寿司詰めになっているところに、独特の風情を感じます。

関西の方は、ご自身のお口に合う、合わないということを声高に主張される傾向にあるように感じます。
こんなことを簡単に書きますと、いまやポリコレの時代ですから、国内人種差別として炎上する恐れがあるんですが。

第一、「関西」という用語がいけません。
京都や神戸の方々は、「大阪と一緒にしないでくれ」と異口同音におっしゃいます。

しかし、我々日本人からしたら、外見だけでドイツ人とオランダ人とデンマーク人の区別がつかないのと同様でして、関西風のイントネーションで話している人たちを瞬時に大阪か京都か神戸かを識別することは、少なくとも東京に生まれ育った人間には至難の業となります。

自分は東京の大学に進学して何を一番驚いたかといって、学食のうどん・そばのつゆが関西風だったことです。

れっきとした東京都の23区内に立地している食堂で、色のない(薄い色がついていたかもしれませんが、無色に見えた)つゆでそばを食べさせられる羽目になるとは、想像だにしていなかったので、目の前に現れた食品を見て一瞬何が起こったのかわからず唖然として、一口すすって再度呆然自失となったことを昨日のように思い出します。

そこで考えたのは、関西圏からも入学者が多い学校で、恐らく「つゆが濃すぎる」「なんでこんなに真っ黒なんだ」というクレームが相次いで、かといって2種類のつゆを用意するほどコストをかける訳にもいかず、仕方なく関東風を全廃して、関西風に転換してしまった過去があったのではないかと勝手に想像したものです。

これは真偽のほどはいまだに未確認ではありますが、あながち外れていないだろうと思っています。

郷に入っては郷に従うという概念が希薄というか、皆無な層が一定程度存在し、彼らの主張が非常に音量が大きく、自己の主張が実現するまで鳴りやむことがないという特徴を備えています。

別にカネ儲けのためにやってるわけでもない運営者側は、うるさいから合わせとけばいいや、となるのも容易に想像できます。
逆に、「なんでこんなに薄いんだ」と文句を言わないのが、東京人を含む東国の人々の気の弱いというか、鷹揚なところです。

蛇足ですが、塩分濃度は関西風のほうが高いことはいまや数値で証明されています。

こうした「域外からのお客様」のお蔭で、東京の街場の天丼が関西風になって久しいのです。
江戸前の天丼は、カラッと胡麻油で揚げた天ぷらを、濃い目の丼たれの壺の中に一旦全体をドボンと漬けてしまいます。

全体が茶色に染まり、汁気もたっぷり吸ったネタが丼飯の上に並ぶわけです。
それによって、胡麻油の衣の香ばしさを伴った濃い目のタレがご飯の下のほうまで染みわたって、丼やお重の隅々のご飯一粒一粒までが、馥郁たる香気に包まれていました。

こうして、最後の一口、ご飯の最後の一粒まで、口腔と鼻腔から幸福感に浸ることができました。
これこそが江戸前の天丼の真骨頂だったのです。

ところが、関西風の天丼に慣れたエリアからの人々の中には、「なんやこれは!」「びちょびちょやないか!」「カラっとしたもん出さんかい、コラ!」とまあ、あたかも人格を否定されたかのように大声で怒鳴り散らす向きもありました。

これがうちの代々のやり方です、百年以上も守ってきた味です、と胸を張っていえるお店ばかりではありません。
とくに、何軒も経営しているところは、必ずしもオーナーや店主がすべてのお客に対応することは不可能です。

従業員がいわれなき苦情に忙殺されるのを見かねて、次々に関西風の天丼に転換していってしまったのです。
天丼が衣替えさせられるとは、お釈迦様でも想像していなかったことでしょう。

かくて、胡麻油はサラダ油になって、衣は真っ白になりましたし、丼たれの壺に浸すことはせず、カリカリの衣のまんまで丼飯に乗せ、上から軽くタレを回し掛けするだけになりました。

「食べログ」などに「天丼のネタがべちょっとしていた」と書かれて、1つ★を喰らうなどという、食文化破壊行為が吹き荒れました。
かの文革のときに、紅衛兵によって各地の文化財が破壊し尽くされたことを髣髴とさせます。

・・・えー、すいません、脱線するとなかなか本線に戻らないで、さらに支線に分岐して行ってしまうので、戻します。

大阪寿司でした。
冒頭の写真、キレイに並んでますね!

蒸海老、鯖の昆布〆、煮穴子、卵焼・・・視覚的にもいい感じですね。
色目もそうですが、お味の濃淡もついています。

シャリは甘めの濃い目です。
醤油はつけないのが基本みたいです。

そこで、合わせたのがこちらです。




ニュージーランドで2年連続最高ワイナリーに選出されているフラミンガムのリースリングです。

いちおう辛口ということになるのですが、アルザス風の純粋な辛口ではなくて、クラシックなドイツ風の作りです。
オフドライとかいう人もいるのですけれど、まあ、中辛というか中甘というファジーな塩梅です。

で、これがいいんですよ。

テクニカルなことから先に申しますと、醤油というのはワインにとってはあんまり得意な調味料ではないです。
白でも赤でも、あんまりうまく合わせづらい。

鰻の蒲焼も醬油ベースではあるのですが、鰻のもつ有り余る脂肪分が、ワインにとっては待ってましたの好相性なので、少々分の悪い醤油も全然苦にしないでお相手が務まるという寸法です。

そこへいくと、刺身に醤油という組み合わせは、万能系のシャンパンか、鰹にメルローなどのややマニアックな世界に入らない限り、一般的になんでもござれという訳にはいきません。

でもって、大阪寿司の「醤油なしがデフォルト」というプロトコルが俄然意味を持ってくるわけです。

押し寿司のシャリの特徴である、甘味と酸味の融合が、オフドライのリースリングにぴったんこになってくるのです。

もともとドイツ産の甘口白ワインが日本でのワイン消費の大半を占めていたといったら、いまでは信じられないかもしれませんが、1990年代半ばに突如として沸き起こったあの赤ワインブームまで、それが続いていたのです。

ワインはとにかく甘くて口当たりの良い、飲みやすいものを・・・と言っていた国民が、突然、「フルボディ」とか辛口とか、180度転換したことを言い出したわけです。

鬼畜米英から一夜にしてギブミーチョコレートになる国民性の面目躍如であります。

白ワインは辛口の一択になってしまったのですが、こうしてオフドライというか中甘口を飲んでみると、じ~んと五臓六腑に染みわたるものがあります。

強がり言ってたけれど、本当はこの味が好きだったんだよ! でも、誰にも言わないでおくれ。
・・・ってなもんでしょうか。

いいんですよ、甘いのが美味しいって言っても。
そうです、赤は「フルボディ」、白は辛口に限る、っていうのは、実は半可通、ちょっとわかり始めた自称ワイン好きの典型的なシンドロームなのです。

甘口の白ワインがわかるほうが格上です、断じて。

とは申しましたが、このフラミンガムのこの1本は甘くはないです。
ほの甘さを感じるのですが、上質なリースリングの持ち味である高貴な酸味が持ち味です。
グリースっぽい厚みに、蜂蜜の濃淳な風味を感じます。最後に苦みも僅かに襲ってくる複雑さが特徴です。

蒸海老、昆布〆鯖、煮穴子なんでもストライクゾーンです。上質なリースリングと大阪寿司は、一緒にセットにして販売したいくらい好相性です。

もちろん、東京の人にも関西の方々にも分け隔てなくお楽しみいただけるカップリングだと思います。

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