賢者のワイン

2023/05/30 10:10



今月行われた神田祭のお神輿が、道路を渡っているところです。
乗用車を運転中に遭遇したのですが、車両側の赤信号がずっと点灯のままで、交通を遮断しています。

交通整理のお巡りさんは、「早く早く」とせかすことはないのですが、渋滞の車列が長くなっていて、
傍目にも周囲から「早く渡れよ~」の気持ちが高まっているのがわかります。

しかし、コトはそう簡単なものではありません。

担いでいる本人たち(担ぎ手)には、どうすることもできないのです。
これは、長年、お神輿を担いでいるのと、お神輿の差配役を務めたこともある経験から申しております。

お神輿の組織論というと、比喩として持ち出す論者が大半で、そういう人は実際にお神輿を担いだことがないまま、空想の世界で書いているケースが大半ではないでしょうか。

遙か昔の子供のころにお神輿を担いだというのはだめです。
なぜダメかというと、本当に担いでいないからです。

「本当に」というのは、真剣に担がないとお神輿が地面に落下してしまう現実の重圧と戦うことを意味します。
子供神輿においては、周囲に大人たちがつきっきりでつい歩いていて、お神輿が落ちる恐怖は味わえません。

担ぎ手の少ないお神輿は、すごく重いです。それに耐えきれない者から脱落していって、容赦なく落下します。
なので、町会の役員は、なるべく多くの担ぎ手を集めます。そこに、組織論が生じます。

そのように申しますと、すぐ「あぁ、知ってるよ」という反応が出てきます。
先回りしてしまいますと、本日申し上げたいのは、いわゆる「2-6-2」の法則ではありません。

もちろん「2-6-2」もお神輿を担いでいると強烈に感じます。
背の低い人の場合、お神輿を担いでも、正確に言いますと「担ごうとしても」、まったく意味がありません。

その人たちに悪気は毛頭ないのですが、担ぎ棒に手を伸ばして、棒の上っ面に手をやっとのことで掛ける瞬間があります。
そのスクショをみると、手は鉛直方向に力を働かせていて、足はつま先立ち、つまり背伸び状態です。

この状態では重いお神輿を下から持ち上げることはできないのはもちろん、お神輿に自分の体重の一部を加算していることになっています。これが最後の「2」の構造です。

大半の担ぎ手は歩いているだけです。この集団が「6」です。
重量物を持ち上げることには貢献していませんが、いちおう構成員として給水所やお神酒所では湯茶や飲み物が供されますし、大休止ではお弁当の支給も受けます。働かない社員と同じです。

今日はそのことではありません。

お神輿というのは、基本的に担いでいる人たちには、進んだり止まったり、曲がったりすることはできません。
いくらやろうとしても、1人1人の意思や力ではどうすることもできないのです。

お神輿の前に先導役がいて、声や笛で進めとか曲がれとか指示を出すのですが、指示さえ出せばその通りに動くわけではありません。

先導役の指示を、周囲に配置された町会青年部や睦会の幹部などがリーダー役となって、担ぎ手に伝達します。
前進するときには、「前だ、前だ」と何度も大声を出します。

これは、言うほうも言われたほうも、実は簡単ではありません。
言っても動いてくれないし、言われて動こうとしても、全然動かないのです。

日頃から練習を重ねている睦会(お神輿の同好会のような地域サークル)ばかりではなく、その日だけ参加する一般の担ぎ手も大勢混ざりますので、容易ではありません。

「前だ、前だ」と言っても言われてもお神輿は進まない。これでは、大きな通りを横断できません。
冒頭の写真は、ちょうどその状況です。担ぎ手はみんな前傾姿勢になっていて、前に進もうという意思はあるようです。

しかし、その場にいたのですが、このお神輿はまったく進みませんでした。
そういうときには、周囲のリーダーたちが手を出します。

後ろから担ぎ棒を手で押すことで、無理矢理お神輿を前進させます。
大きな通りを渡るとか、いったん止ってから再度動き出すとか、そういうときには、手を出します。
止るときには、前から体重をかけて押えつけます。

これは、担いでみないとわからないというよりも、差配役をやってみないとわかりません。
というのは、担いでいるときには、全体がどうすべきで、どこがどう動かないのかという大局観がまるで持てないからです。

担いでいる人には、全体の統制はできないということです。
つまり、プレーイングマネジャーは成立しないのです。

日本企業では普通に存在していますが、お神輿をみればその無理さが理解できます。



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