賢者のワイン

2023/06/15 11:49

ワイン商の世界に入って30年近くになります。
これだけ長くやっておりますと、お客様や友人知人からいろいろな質問を頂きます。

そこで、ワインや飲み方に関する「よくある質問」にお答えしていきたいと思います。

初回の本日は、「ワイングラスの形状について」です。

ワインの産地やブドウの品種などによって、使用するグラスも変えたほうがいいでしょうか? とよく聞かれます。

ズバリ、結論から申しますと、
NOです。
ワインに応じてグラスの形にこだわる必要はありません。

これは、ごく普通のワイン愛好家の方々向けに申しておりますので、何事にもこだわりを大切にするおたくの方々にはあてはまらないこともありますが、一般論でお答えします。

ネット上には、
YESの記述とともに、「どのようなワインには、どのような形状のグラスが良いのか」を詳細に解説しているサイトも多くあります。

ネット上の「解説サイト」や「
Q&Aサイト」は、既存の著名人の解説を参考にして書かれていることが大半です。

なので、「元ネタ」が特殊な状況を前提にしている場合には、それを参考にして書いたサイトが芋づる式に特殊な記述をしてしまう傾向にあるので、注意が必要です。

さて、ワイングラスの形状をめぐっては、
30年前に戻ってみることが必要です。
時は、1990年代の半ばすぎです。

バブル崩壊後、日本経済は暗く沈滞していました。

そんなころ、田崎真也さんが世界ソムリエコンクールで優勝し、世界のトップソムリエになったのと前後して、第5次ワインブームが到来しました。

不良債権問題でにっちもさっちもいかなくなった銀行や債務企業を尻目に、青山や麻布十番の裏通りには、ワインバーが雨後の筍のように開店しました。
そこでは、高級ワインを高級なグラスで飲ませることが流行しました。


高級なグラスとは、きまって極薄手のガラス製で、大ぶりで丸っこいものというのが通り相場でした。

その形状はいろいろありまして、中には、金魚鉢とみまがうほどの巨大なワイングラスもありました。

店では着飾った30歳前後の男女がワイングラスをくるくる回しながら、ワインについてのウンチクを飽きもせずにずっと語らっていました。

店のほうも、積極的にワインの能書きを垂れ、お客もそれを有難がるという、いまから思えば別世界のようなシーンが、毎夜そこかしこで繰り広げられていました。

そのようなシーンで活躍したのが、リーデルを代表とする海外製の高級ワイングラスでした。

ここで、高級ワイングラスについても時代を整理しないといけません。

ベテランの読者の中には、「高級なワイングラス」と聞くと、ボヘミアングラスなどの海外のガラス工芸の産地を思い浮かべ、複雑で微細なカットを施したギザギザのグラスを思いだす方もおられるかもしれません。

中には、青や赤の彩色を施したものもあります。日本でも、薩摩や江戸の切子(きりこ)という伝統工芸品にもワイングラスがあります。

これらは大変高価であり、美術品としても一級品といえるものも多くあります。

しかし、残念ながら、これはいわゆる「自称ワイン愛好家」の界隈では、ワイングラスとして認められていない形になります。

ワインについて語りたがる人たちは、ワイングラスに用いるガラスは必ず無色透明で、凹凸のないガラスで、かつ極力薄くなければならず、脚は長く細く、全体的におおぶりであることが必要となっています。

飲み口のところ(グラスが口に当る最頂部)に補強のためにガラスに僅かな厚みをもたせて極小のエッジを備えたグラスをよく目にしますが、これはもっとも欠けやすい最頂部を保護しているために、実用品と看做され、ワインおたく達には嫌われる宿命にあります。

とにかく、薄く、大きく、華奢で、割れやすいグラスが好まれます。

こんな高くて「はかない」もので飲んでいるということが、見栄や虚栄心を満足させるのでしょう。

さて、前置きが長くなりましたが、彼らの最高のお好みはリーデルという1つのブランドで固定していました。

車ではベンツ、BMW、ポルシェなどそれぞれの好みがあって拮抗していたのですが、ワイングラスはほかのブランドの付け入る余地はなく、ほとんど独占状態だったのです。

そこでは、「ミライ(味蕾)地図」という図によって、ワインの種類ごとにグラスの形状を変えて飲むと最高の味わいが楽しめると説明されていました。

このミライ地図は、ある程度以上の年齢の方には、学校教育のなかで教えられたこともありましたので、記憶にある読者もいると思いますが、実はその後学会で否定された概念です。

舌には酸味甘味苦味辛味などを感じる部分が均一に分布せず、それぞれの部位に主として感じる味覚が細かく分かれているという図面です。

リーデル社は、ワイングラスの形状を大胆に変えることによって、飲んだときに口腔内に入り込むワインの水流の形状と量を調節し、ミライの特定箇所に当たりやすくしたり当りにくくしたりすると説明していて、そのいかにも「科学的」な説明や根拠の資料が、ウンチクに弱いワインおたくのこころを鷲掴みにしてしまい、一気にリーデルブームが到来したのです。

ワインおたくは一般的に声が大きいので、お店でも「もっといいグラスないの!」などと平気で無理な要求を公然とつきつけました。

そのこともあって、
1990年代後半の第5次ワインブームの際には、ホテルや飲食店でも高級グラスを配備することがもはや義務とさえなっていったのでした。

そのような罪作りなグラスですが、その根拠となっていたミライ図自体が専門の学会で否定されていたのを知らずに、我々は嬉々として高いグラスを買って、「たしかにワインの産地やぶどう品種に応じてグラスを使い分けると美味しいのだ」と信じていたのです。

いかに「飲む前に飲まれているか」という、ワイン愛好家の哀しいサガが露呈してしまったわけです。

賢者のワインでは、日常生活をワイン中心ではなく、人間中心で楽しむことをお奨めしています。

ハレの場で、高級なワインを高級なグラスで頂くことは、店番としましても大賛成です。おおぶりなグラスの底のほうに少しだけ高貴なワインを注いでもらい、香りの変化を楽しみながら、時間をかけてワインを味わうのは、至福の時です。

いっぽうで、毎日の食卓においては、高いグラスを使うと倒さないかと気が気ではありません。
食事のあとに洗う時にも、割ってしまうのではないかと非常に神経を使います。

これでは、楽しくほっとするための食事が、神経消耗戦になってしまいます。
本末転倒です。

そこで、日常の食卓では、ワングラスは高額の上等なものではなく、
100円ショップに売っているような、ごく普通のもので構わないというのが店番の心情です。

それどころか、ビール用などのコップでごくごく飲むことを実践しています。
ワインに応じてグラスの形状を変えるということもしていません。

それでも、ちょっと上等なワインは、もっと上等なグラスで飲みたいのも人情です。

そういうときには、私も自宅であってもちょっと良いグラスを出してきて、それで飲みます。とはいえ、1脚何千円もするものではありませんが。

長い話をまとめますと、「ルール(らしきもの)の束縛」から逃れることが、楽しい食事のコツになります。
グラスに限らず、ワイン全般にいえることです。

最低限の常識に従うのはもちろんです。
敵は、常識でもルールでもないものを、仮想ルールとして信じ込む自己の内面にあるのではないでしょうか?



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